2010/07/27

オープンにしないこと #ptsd_jp

某SNSにも、PTSDや精神障害の人、神経症の人、DVを受けている人などの友人が
何人かいるのだが、その中には、自分の病気をオープンにせず、元気な
日記しか書かないという人が割といる。

カミングアウトした結果、された友達にとったら接し方が分からなくなるだろうとか
迂闊なコメントが出来なくなるだろうとか、そういった懸念ももちろん有るのかも知れない。
それはTwitter上でも同じかも知れない。

けれど、その根底にあるのはなんだろう。
それは、メンタルヘルスに対する偏見や攻撃、理解して貰えないことの苦痛…などを
今までに経験したことがあるからではないだろうか。

偏見は「知らない」というところから端を発するのだろうし、
攻撃は、メンヘルの人と接した結果自分の生活が振り回された人、もしくは
ただ面白がって攻撃する人などが居るだろうし、
理解して貰えない事に関しては、「やっぱり当人じゃなければ理解できない」という
大きな壁がそこに有るからに他ならないと思う。

偏見や攻撃には確かに晒されたくない。私もそれはイヤだ。
しかし、理解して貰えないから…と言って永遠に口をつぐんでしまっては、
溝は深まるばかりなんじゃないだろうか…と思ったりする。

前に書いたように、「理解して貰う」というのは難しいし、絶対に無理なことかも知れない。
だが、叫び続けることによって「知って」もらう。
「接し方」を理解してもらう。それによって、相手からの「迂闊な発言」…たとえば
鬱の人に「ガンバレ」って言ったらダメ…みたいな、そういったものを避けることが
出来るようになるのではないだろうか。

もちろんこれは私個人の意見であって、他の人に強制できる物ではない。
でも、知ってもらうことにデメリットは有るのが確かであるとしても、
得られるメリットは大きくなっていくのではないだろうか。

同じメンタルヘルスの人と知り合えたり、その人達と話題を共有しあえたり、
辛いときには、素直に「辛い」って泣けたり、知らなかった人たちに関心を示してもらえたり…。
私が自分の病気をオープンにした理由はここに有る。

オープンにすること=正解ではない
しかしオープンにしないこと=正解でもない

駄文だが、自分の子供がメンヘルだった場合に、世間体を優先させて
子供がメンヘルであることを隠し、隠させようと躍起になる親がいる。
これに関しては論外だと思っている。
子供の…こと成人している子供の場合は、本人の自由にさせて良いではないかと思う。

2 件のコメント:

  1. 私もオープンにしてますが、言わないで明るい自分だけ出して、無理していたら今の孤独はないかもしれないと何度も思う

    言うか言わないか迷うけど、今も。。。考えたりする
    でも精神的に無理してきた結果は。。。悪循環な人生の今にいたる
    私の場合、理解してもらうのは難しいけど、一人でもこうゆう
    病気を否定しないで理解しようとしてくれる人がPTSDになってしまった人の側にいてくれたらいいなって思う

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  2. 仰るとおりですね。
    有る意味、友達も「ふるいにかけられていく」のかも知れません。
    分かってくれる人、理解しようとしてくれる人だけ残っていてくれれば
    何も問題ないという考え方もある。

    私たちの場合、精神的に無理をするのが一番いけないんじゃないでしょうか。
    無理をして元気に振る舞ったところで、それはウソですから。

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