ご存じの方が殆どだと思うが、筆者はPTSD罹患者である。
鬱病、パニック障害、解離性人格障害などなど、色々と併発している。
PTSDの原因の1つには、幼少期からの親の間違った愛情の示し方もあるが、
ほとんどは前夫からのDVが元になっている。
前夫は、結婚してすぐに働くことを否定し始めた。
地元の八百屋から切り落とした大根の葉っぱをもらったりしながら食いつないでいた。
そうとうな年数がまんした間に子どもが二人出来た。
仕事で日銭が入ると片っ端から使い、家計にはお金が入ってこなかった。
給食費もまともに払えなかった。さすがに私も我慢の限界を通り越していた。
離婚の話を持ちかけると、前夫は豹変した。
DV、モラハラ、レイプ、脅迫が始まり、エスカレートしていった。
ほとんど軟禁状態に置かれ、日々暴言、暴力を浴びせられレイプされ続けた。
何ヶ月くらい続いたのかは、記憶から欠如していて覚えていない。
夫は自分の実家へちょこちょこと帰るようになり、その間に舅と姑がやってきて
「夫婦で話し合いがつくまでは子ども達を預けなさい」と言われ、そのまま
二人の子どもは騙し取られた。
住民票から転校手続きから全て済ませてあったのを後で知った。
調停では、「産んだからって親権取れると思ったら大間違いよ」と切り捨てられた。
ライフラインは勝手に止められ、あわてて契約したPHSの番号もすぐにバレた。
執拗な脅迫。突然家へ帰ってきて狂ったように物を物色していく。
なすすべが無かった。
年金生活暮らしで、癌と闘っている父の居る実家にあまり心配をかけたくなくて
「なんとか一人で暮らしている」とだけ伝えていたような記憶がある。
日々繰り返される執拗な脅迫に命の危険を感じた。「ああ、殺されるな」と何度も思った。
やっとの事である日、友人達の助けで、夜逃げ同然に逃げ出し、ひそかに
契約していたマンションへ引っ越すことが出来た。
だが脅迫は止まらない。
マンションの電話番号もすぐにばれた。PHSから携帯にしたが、それもバレた。
日々脅迫電話がかかってきた。何年も続いた。
それでも、自分の生活をしていかなければならない。
覚えたてのパソコンで必死にOfficeを覚え、フォトショを覚え、派遣会社に登録した。
すぐに派遣先が決まり、頑張って働いた。
帰りの電車の中で小さな子どもを見ると過呼吸になり、パニックになりそうになった。
それも何年も続いた。悪夢も見出すようになっていた。眠れない日々が続いた。
それでも、「暮らして行かなくては、自立しなくては」と必死で頑張った。
自分の心と体の変化に気がつかない振りをして月日が過ぎていった。
軟禁状態の時に電話で助けてくれていた人と結婚し、子どもを見てもまだ
辛い時期が続いていたが、二人の間にも子どもを作った。可愛かった。
母乳を良く飲み、離乳食をいっぱい食べ、すくすくと育った。
子育てが楽しくて仕方がなかった。
ああ、やっと自分も幸せになれるんだなと思った。そんな日々が1年ほど過ぎた。
突然それはやってきた。何がきっかけだったのか覚えていない。
突然のパニック発作に襲われ、家中を暴れ回った。
お医者様に連れて行かれ、「育児ノイローゼだ」と言われたが、全くピンと来なかった。
次に行った病院では「鬱病」と診断され、すぐに入院させられた。
隔離病棟で、小さな棚とベッドと簡易トイレがあり、全てモニタリングされていた。
分厚い鉄の扉が閉められ、ガチャガチャという鍵の音を聞くとパニックになった。
退院してからどれくらい経ったころだろうか。血栓になり入院することになった。
その入院先に、定期的に通ってきている精神科のお医者様が居た。
相談に乗って貰うと、「それは鬱ではなくPTSDという病気ですね」と言われた。
血栓が回復してから、通っていたお医者様に「PTSDと言われたのですが」と申し出たが、
「いや、基本は鬱ですから」と、投薬内容を変えてくれることはなかった。
何度もリスカやODを繰り返し、ICUにも幾度となく入った。
ある日担当の先生が別の病院へ移ることになり、その時やっと、
「PTSDと診断した先生の所へ行ってみよう」という気になり通い始め、現在に至っている。
私が書きたかったのは、お涙頂戴的なストーリーではない。
お気づきの方も居ると思うが、前述したように、私は「我慢」をしていた。
心身の悲鳴に声を貸さず、ただがむしゃらだった。「病院に行くヒマなんて無い」と思いこみ
精神科専門医のところへ行くことをかたくなに拒んでいた。あるいは思いつかなかった。
その事が後になって、遅延型のPTSDという形で私を襲うことになった。
被災地でこれを読んでいる方に、本当にお願いだから聞いていただきたい。
「我慢しないで、見ぬ振りをしないで、気がついて」。
PTSDは、早い段階で適切な処置をすればまぬがれられる病気です。
本当にお願いです。これを読み終わったらすぐに、医師に相談をして下さい。
1PTSD罹患者からの心からのお願いです。
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#ptsd_jp でご一緒させていただいています、
返信削除@suama_wkです。
sykesさんにとっては、
これを書くだけでも辛かったことと思います。
本当に、お疲れ様でした。
311の震災は、私自身にとっても本当に衝撃的でした。
直接被害を受けてはいないとはいえ、
報道を見て、多くの人の声を聴いていくうちに、
決して他人事ではなくなってしまっています。
あの震災でどれほど多くの方がトラウマを抱えてしまったのか。
そして、あの震災でどれほど多くの方がPTSDを"誘発"されてしまったのか。
間接的な被害者は想像を絶する数になり、
しかもそれはメディアなどで認知されることはない。
そう思って愕然としたものです。
でも、私は、そして私たちは、
非力ではあるが無力ではない、そう思っています。
震災以降、私自身も相当不安定になってしまいましたが、
それでもきっとできることがある。
PTSDを正しく理解してもらい、
一人でも多くの方が適切なケアを受けれるように、
私なりの形で力を尽くしたいと思います。
それは私にとって
一つのライフワークになると思っています。
これ以上、PTSDが増えないことを心から願っています。
私は、躁うつ病を6年前に発症しました。今は治っていますが、それが返って家内を苦しめているようです。
返信削除三ヶ月前から急におかしくなってきたのです。家内は私の症状が荒れていた頃の事を思い出して泣いています。
私は、治ったのに?不思議でしたが、こちらの情報を見ると遅延型のPTSDではないかと思ってしまいます。
今は別居して二ヶ月になりますが、昨日突然会ってしまい、また、泣いていました。私が怖い!と。
でも、夜は眠れると言っていました。一人だと安心だと言います。私が怖いと言います。
今の私は、怖い症状なんかありません。かえって以前より優しくなっています。
しばらく離れるしかないと思っていますが、病院へ行かせた方が良いのでしょうか・・・考えてしまいます。
愛する旦那様の変わっていく様を見て、不安になってしまったのかも知れませんね。PTSDと名付けるにはまだ時期尚早な気もいたしますが、放置しても良くないですし、ぜひお医者様に相談できるようにしてあげて下さいね。
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